社会性のなかった私は、口は悪いが親切な同僚の友人ができて、ひとつひとつどうすべきかを学んだ。
葬式に行って香典持参しなかったりなんて時々失敗もしたけど。
何もかも自分ではわからなくなり、いいか悪いか馴染めるかなんてわからないから、話してくれる人の話は徹底的に聞くようにした。
聞くうちに、これは変だとか、ああなるほどとかだんだんわかってくるようになった。
そうなると、自分の母の言い分や理屈母のわがままだったり思い入れだったりと自分なりに気づき、理屈で言い返したりすることもできるようになり、ますます確執が生まれるようになった。
言い返したところで母が何か変わるわけではないので、何を言われても聞かれても話さなくなっていき、それはものすごいストレスで、この頃は大瓶のキャベジン1瓶あっという間に飲んでしまったりした。
自分で自分のモノは洗濯をして、食事も自分で作るようになった。
家庭内別居みたいに。
食事を作ると、母は元々料理が苦手なので、私に家族が分を作るよう言ってきたが、理屈でおかしいと言ってやらなかった。
でも作って余ると台所で立ったままお茶碗にご飯をよそい、私の作って余った料理をむさぼり食べている姿が度々見られた。
行儀が悪いから、食べてもいいけど座って食べるよう言っても聞かなかった。
単にお腹がすいていただけで。
父は買い置きしてあるお惣菜をちょびっとずつ食べるのが至福で、ウチはバラバラだった。
そういえば私は中学の時からお弁当は朝自分で作って朝ごはん食べて学校に行っていた。
出来上がった頃母が起きてきて弟にあげると横取りされることも多く、困ると伝えると海苔でもなんでも食べればいい。昼と一緒にしなくてもいいだろうと取り上げられていた。
弟の学校改修で弁当が必要な期間も中学生の私が作っていた。
何年も確執は積もって行った。