幼稚園生の頃に、原因は覚えてないけど、台所の勝手口から、よく出された。
今思うと、敷地の塀と勝手口までの覆っている屋根が一体化しているので、覗かないと勝手口は通りからは見えないので、私がギャーギャー騒がなければ近所の目にもつかない。
大きい声出したら家に入れないよと言われて小さい声で謝っていた。
靴下履いたまなので、靴下汚れるのが嫌だった記憶があって、アタマの中で考えていることと口で話してることが違っていた。
今でもよくあるアタマが回転している時だ。
やはり幼稚園生の頃、原因は覚えてないけどお母さん死んじゃったらどうしようって思ったことがあり、次に思ったのは死んじゃったら電気代とか支払い方法がわからないな…だった。
母がいなくなったって父がいるんだから父が支払うのに、母が死ぬことより、なぜ幼稚園生の自分が…と、考えたのか未だに不明だ。
国立やトップクラスの私立中学受験できるほどアタマ良くなかったから、みっともないと田舎に預けると言われた時も、アタマの中ではそれもいいかもって思っていたけど、この先の反応を考えて嫌だと答えた記憶もある。
自分の子育ては、嫌だった記憶のことは、しないようにしていた。
でもその方法しか知らない私は、してはいけないことなので、できるだけ我慢していた。
未だに、できるだけ我慢している。